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名古屋高等裁判所 昭和31年(う)524号 判決

控訴人 検察官

被告人 中村宏三 外二一名 弁護人 西村美樹

検察官 菅原次麿

主文

原判決における被告人宮木剛、同別所清一、同中川をてる、同北村こずゑを除くその余の被告人等に関する部分中、被告人石上喬生、同藤村進、同前川房次の各無罪部分及び被告人中西五洲の平松公共職業安定所長に対する暴力行為等処罰に関する法律違反についての無罪部分を除き、全部これを破棄する。

被告人槙谷賢一、同堀口弘、同朴永鶴、同石上喬生、同藤村伊三郎、同北川米蔵、同藤村進を各懲役一年六月に、被告人中村宏三、同大西栄次郎、同香川常男、同前川房次、同長谷川吉造を各懲役一年に、被告人倉口健次郎、同奥村晃、同川島敏郎を各懲役十月に、被告人中西玉洲を懲役八月に、被告人山崎節三郎、同奥村融を各懲役六月に処する。

前項掲記の被告人十八名に対し本判決確定の日から各三年間右刑の執行を猶予する。

被告人中西五洲、同宮木剛、同別所清一、同中川をてる、同北村こずゑの各控訴はいずれもこれを棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は被告人等及び弁護人西村美樹並びに津地方検察庁検察官検事正寺田輝雄の差し出した各控訴趣意書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用するが、当裁判所はこれに対しつぎのように判断する。

弁護人西村美樹の本件控訴趣意中原判示第一の被告人前川房次の所為は労働組合の組合活動として行われた団体交渉の過程における行為であるから労働組合法第一条第二項の正当行為であるという論旨について。

よつて記録を精査するに、被告人前川房次の原判示発言が三重自由労働組合と松阪公共職業安定所長平松嘉十郎との原判示のような交渉中に発せられたものであることは所論のとおりであるが、労働組合が公共職業安定所との間に団体交渉権を行使しうるものか否かの点については暫くこれを措くも、被告人前川房次は原判示のように百数十名の組合員が右公共職業安定所に押しかけ、大勢で平松所長をとり囲み、喧々ごうごうたるなかで、「布施の安定所長がやられたのを知つているか、布施だけのことではないぞ」といつて脅かしたのであるから、このような緊迫した情况のもとに多数の組合員を背景にして、右の如き内容の害悪を告知すれば、何人も極度に畏怖せしめられることは当然であつて、所論の労働組合法第一条第二項も、組合活動について刑罰法令の適用を排除したものでないことは言を俟たないから、組合活動の正当性の限界を逸脱した被告人前川房次の叙上の行為については刑責を免れないものといわねばならぬ論旨はとうてい採用しがたい。

西村弁護人の右原判示第一の被告人前川房次の所為は脅迫の犯意を欠如しているという論旨について。

しかしながら記録を精査すると、被告人前川房次の叙上の脅迫的発言は平松所長との交渉の過程においてたまたま発せられた所論のような単なる不用意な言動とは認めがたく、かえつて原判示のように当日は翌日からいよいよ当月分の仕事がなくなるという情況にもあつたので、組合役員としては大衆動員をかけその圧力によつて、是が非でも平松所長に二十五日完全就労の確約をなさしめようと、始めから強固な決意をもつて事にのぞんでいたことが窺われるので、交渉員の一人たる被告人前川房次の右の如き発言が脅迫の意図をもつてなされたものであることは明である。論旨もとうてい採用できない。

被告人石上喬生、同槙谷賢一、同藤村進、同朴永鶴の各控訴趣意中原判示第二の事実に関する適法な退去命令がだされなかつたという論旨について。

本件記録を精査し、原判決挙示の各証拠及び原裁判所が取調べたすべての証拠の内容を検討し、当審における事実取調の結果を参酌するに、三重自由労働組合と三重公共職業安定所の平松所長との叙上の交渉のあとで、同組合員に対する退去の要望ないし退去の命令はその建物管理者たる同所長から原判示五回にわたつてなされているが、はじめの三回は原判示のように組合員全員に対する退去命令というべきものではなく、当日午後四時四十五分頃第四回目に平松所長命をもつて八木課長から「市町村会議はまだ難航しているから今日は全員皈つて貰いたい」旨の通告が発せられ、これがその日適法になされた最初の退去命令と認められるけれども、右退去命令も原判示のように組合員山田守が右市町村会議の終了を知らせたので、八木課長はその真偽を確かめるため、平松所長と連絡をとつているうちに、同日午後五時頃同所長の要請によつて保古刑事部長以下警察官五十名が同安定所に来着し、原判示の如く八木課長と被告人中西五洲との間に、退去命令が発せられているか否かについて論争が生じたので、八木課長は保古刑事部長や被告人中西五洲等とともに午後五時過頃会議室に入りあらためて、組合員全員に対する退去命令を平松所長命をもつて大声で組合員に告げた事実が認められる。したがつて少くとも八木課長の右二度目の退去命令は適法かつ有効になされたものといわねばならぬ。論旨は要するに、証拠の価値判断について独自の見解に立ち、原審の適法になした事実認定を非難するものであつて採用できない。

被告人等及び弁護人西村美樹の各控訴趣意中原判示第二の被告人等の不退去の所為は、団体交渉の目的をもつてするいわゆる座り込みであるから、労働組合法第一条第二項による正当行為に外ならぬという論旨について。

自由労務者の組合が公共職業安定所に対し団体交渉権を行使しうるものでないことについては後にのべるとおりであるから、すでに建物管理者より適法な退去要求があつたときは、何人もその建物から直ちに退去することを要し、退去しなければ犯罪を構成するにいたるべきことは多言を要しない。したがつて、平松公共職業安定所長から原認定のように退去命令が発せられているにかかわらず、退去を肯じなかつた被告人等の所為は労働組合法第一条第二項による正当行為とはいえない。論旨は採用できない。

西村弁護人の被告人中西五洲のための控訴趣意中、同被告人は事態収拾のため奔走していたもので、不退去の意思はなかつたという論旨について。

原判決挙示の各証拠及び原裁判所が取調べたすべての証拠の内容をつぶさに検討し、当審における事実取調の結果を加味参酌するに、八木課長が原認定のように平松所長命をもつてする再度の退去命令を発した直後、被告人中西五洲は警察官により道路上に押しだされたが、二階会議室から喚声や器物を破壊する音を聞き、事態のようやく急迫せることを知り、所論のように事態収拾のため、警察官の了解を得て会議室に赴き、組合員に対し「犠牲がでるだけだから抵抗をやめよう、退去命令がでているから皈ろう」と提案したけれども、賛否両論あつて結論を得られなかつたが、結局階段附近にいる警察官が退去すれば、こちらも皈ることにしようという意見がでたので、階下にもどり吉田次席と交渉中、保古部長の命をうけた中田大市両巡査に逮捕されることとなり、ついに事態の収拾がつかなくなつてしまつたその間の経緯を窺うことができるから、警察側においてももう少し隠忍自重して、被告人中西五洲に時を藉し、事態の収拾に当らしめたならば、あるいはこの不幸な事態を最悪の状態にまでもちこまずに収拾できたのではないかと、かえすがえすも遺憾におもわれる。しかしながら、被告人中西五洲の刑事上の責任については、同日午後四時四十五分頃八木課長から平松所長命をもつてする最初の退去命令がでた直後、同課長がその退去命令をひとまず撤回したようなかたちで、平松所長と連絡をとるため、会議室をでた際、被告人中西五洲は警察官との激突を予測して組合員に対し、「今日は話がつくまで皈るな、警察官がきても皈らずにどこまでもおしきれ、警察がほりだしにきても坐込み戦術でいこう」と指示しその後で八木課長から再度の退去命令がでたけれども、原判示の如く他の被告人等は被告人中西五洲の指示どおり坐り込んで、右退去命令に応じなかつたものであるから、被告人中西五洲も、右被告人等と共謀による不退去罪の責を免れることはできない。論旨も理由なきものといわねばならぬ。

被告人中西五洲、同奥村融以外の被告人等及び西村弁護人の被告人山時節三郎のための各控訴趣意中原判示第三、第四の所為に関する事実誤認の論旨について。

所論は要するに、右被告人等としては警察官に対し原判示のような暴行を加えたり、原判示のように松阪公共職業安定所の屋根瓦を剥がして投げつけたりしたことはないというにあつて、原判決挙示の各証拠及び原裁判所が取調べたすべての証拠の内容を仔細に検討し当審における事実取調の結果を総合すると、同被告人等の原判示各犯罪事実は原判決挙示の各証拠によつて優にこれを認めることができ、その認定に誤認ありとは認めがたい。すなわち、右被告人等が原判示のように松阪公共職業安定所の会議室を不法占拠中、これを強制的に退去せしめようとした警察官に対し、原判示の如くバリケードをつくつてその執行を阻止し、さらにバリケードを強行突破せんとした警察官に対し、被告人石上喬正、同藤村伊三郎、同槙谷賢一、同藤村進、同中村宏三等が中心となつて木片や硝子の破片を投げつけてその職務の執行を妨害し、警察官九名に対しそれぞれ原判示のような傷害を負わせ、また右抗争中原判示の被告人等が右公共職業安定所の屋根瓦を剥がして投げつけその建物を損壊したことは明である。しかして同被告人等の叙上の犯行はもちろん陰謀による計画的犯行ではないが、事態の紛糾と混乱のうちに芽ばえた、群衆心理にもとずく暗々裡の共謀によるものと認められる。したがつて叙上のような集団的暴行事件においては、右被告人等の果した共犯者間における犯行の態様が、かりに原判示と多少相違するところがあつても、すでに右の如く共謀による犯行の成立が認められる以上は、その相違がとくに主要な役割などに関しないかぎり、判決に影響しないものというべきである。もつとも右被告人等は原判決挙示の同被告人等の検察官に対する各供述調書については脅迫、誘導等による任意性のないものであると主張しているが、その内容からみても、また原審公判における証人奥山隆、同出口悦生、同麻生通也、同佐藤義郎、同亀永源一の各供述によるも、その任意性を肯認するに十分であつて右認定を左右するに足る証拠は存在しない。

論旨は要するに、証拠の価値判断について独自の見解にたち、原審の適法になした事実認定を非難するものであつて採用できない。

被告人中西五洲、同奥村融以外の被告人等及び西村弁護人の同被告人等のための各控訴趣意中、原判示第三、第四の被告人等の所為は警察官による不当な職務執行による侵害に対してなされた正当防衛であるという論旨について。

よつて記録を精査し、原審及び当審における事実取調の結果を綜合すると、まえにもふれたように警察官としても、本件当時いま少し隠忍自重して、被告人等をして自発的に松阪公共職業安定所から退去せしめるために時を藉し、説得にもいま一段の努力を傾けるのが妥当な態度ではなかつたかとおもわれ、いささか性急に過ぎたその措置には批判の余地もあろうが、被告人等の原認定のような座り込みが、すでに違法性を帯びるにいたつたものなる以上、被告人等を強制退去せしめ、ないしはこれを逮捕せんとする警察官の行為が正当な職務の執行であることはもちろんであるから、所論のようにこれを目して急迫不正の侵害ということはできない。警察官による所論の投石行為を認めうる証拠はなく、ただ警察官が鳶口、角材等で右公共職業安定所の建物の一部を損壊した事実は認められるけれども、それはもとより被告人等に対する侵害を意図したものではなく、会議室の入口を閉塞して退出を肯じない被告人等を逮捕する手段として、原認定のように建物管理権者の了承のもとに適法に行われたものであることが明である。論旨もとうてい採用できない。

被告人中西五洲、同奥村融以外の被告人等及び西村弁護人の同被告人等のための各控訴趣意中、原判示第三、第四の被告人等の所為は同被告人等が現在の危難を免れるためにとつた緊急避難行為であるという論旨について。

しかしながら、元来緊急避難における危難とは、法益侵害の虞ある状態をいうものと解すべきところ、本件においてすでに松阪公共職業安定所長により適法な退去命令が発せられ、右被告人等の坐り込みが違法性を帯びるにいたつた以上警察官が退去を肯じない同被告人等を逮捕しようとすることはもとより正当な職務行為であるからそこには法益侵害の虞ある状態なるものは存在せず、被告人等としては逮捕を受忍するほかなく、したがつてここでは危難という観念を容れる余地はまつたく存しない。論旨もとうてい採用できない。

被告人奥村融以外の被告人等及び西村弁護人の同被告人等のための控訴趣意中、各量刑不当の論旨について。

よつて原裁判所において取調べたすべての証拠の内容を検討し、当審における事実取調の結果を総合するに、

(1)  まず被告人等の本件犯行の動機については、被告人等の結成している三重自由労働組合は、その組合員の大多数が世の偏見と無理解のためにいわれなき差別待遇をうけ、ほとんど就職の道をとだされている、いわゆる未開放部落出身のいわば「就職したことのない失業者」によつて占められているのであつて、これらの人たちが、公共職業安定所において失業者として登録され、失業対策事業などに就労するようになると、恰も「就職」でもしたかのような就労態度を生むにいたり、老齢による就労不能者の自然淘汰による一部「退職」を除いては、就労年月の長期化と就労者の固定化に拍車をかけていたことは真に悲しむべき政治の貧困と嘆ぜざるをえないが、それはともかくとして、被告人等組合員の多数がこうした悲惨な境遇にあるのに、経済事情の悪化に伴う失対就労者の急激な増加のため、昭和二十六年十月からは原判示のように、就労日数が月二十日に減ぜられる公算が大となつたので、右組合は二十五日完全就労を強く要望して松阪公共職業安定所長と交渉を続けていたが、同月二十二日にいたるも交渉は進展せずいよいよあす一日だけで就労の予定をおわることになつたので、被告人等組合員の生活不安はその極に達し、ついに本件事案の発生をみるにいたつたのであつて、その原因の深く根ざすところのものは、右の如き世の偏見と社会的矛盾に存するものなることを認めざるをえないこと。

(2)  本件は原判示のように、まつたく偶発的な不幸な出来事であつて三重自由労働組合員が自己の生活をまもり文字どおり生きるために、松阪公共職業安定所に対する交渉によつて、右二十五日完全就労の要求を獲得しようとしてなしたことが不測の重大な結果を招来したものである。本件は予め組合員やその幹部の謀議にもとずく事案でないことはもとより、本件のような事態の発生を、大衆動員前に予測していた者はだれ一人としていなかつた。そのことは老人や子供連れの婦人が多数参加していたことや、萬一の場合のために兇器をひそかに持参したり、明日に備えて弁当を用意していた者がまつたくいなかつたことなどから考えてみると、大衆動員の圧力のもとに要求を貫徹しようとしたことが、四囲のいろいろな事情とからみあつて勢の赴くところ、原判示のような何人も思いもうけなかつた不幸な事態を招来したものと認められること。

(3)  平松公共職業安定所長がその就任以来、原判示のように一方においては自由労働組合の二十五日完全就労の要求を拒否しつつも、他方県を通じて労働省に予算の増額を要望したり、全職員を督励して求人開拓その他に失業者の吸収をはかるべく、並々ならぬ努力を傾けていたことは明白であつて、職務とはいえ、その労を多とすべきではあるが、同所長の右組合に対する交渉の態度については、右のような努力にもかかわらず、うちに秘めたその誠意を被告人等に十分披瀝するにいたらず、原判示のように一旦約束した会合の時間にも自ら姿を見せず、また会見のできない理由について被告人等を納得せしめる方途にもいでずして、逸早く警察官の来援を求めたことは、明日の生活にもことかく被告人等の切実なる要求に対する措置として、果して適切妥当なものであつたか否かを疑わざるを得ないこと

などの諸点を考慮し、被告人等の本件各犯行の態様、その経歴、素行その他諸般の情状に徴し

原審が被告人中西五洲、同宮木剛、同別所清一、同中川をてる、同北村こずゑを各懲役六月に処し、いずれも三年間その刑の執行を猶予した量刑の措置はまことに相当であつて、同被告人等及西村弁護人所論の各事情を参酌しても、同被告人等に対する原審の右量刑を不当に重しとするに足る事由を認め得ないから、論旨はいずれも採用しがたいが(被告人中西に対する検察官の控訴趣意中事実誤認の論旨の一部理由あることは後にのべるとおりであるから、同被告人に対する量刑についてはさらに判断することとする)

被告人槙谷賢一、同堀口弘、同朴永鶴、同石上喬正、同藤村伊三郎、同北川米蔵、同藤村進を各懲役一年六月、被告人中村宏三、同大西栄次郎、同香川常男、同前川房次、同長谷川吉造を各懲役一年、被告人倉口健次郎、同奥村晃、同川島敏郎を各懲役十月、被告人山崎節三郎を懲役六月のいずれも実刑に処した原審の量刑は所論の如くいささか重きに過ぎるものと認められる。論旨はいずれも、その理由があるものといわねばならぬ。

つぎに検察官の控訴趣意第一点の団体交渉権の有無に関する論旨について。

よつて記録を精査するに、原判決が三重自由労働組合について失業対策事業の事業主体たる地方公共団体に対する関係だけではなく、その事業への失業者の就職斡旋機関たる公共職業安定所に対しても全面的に団体交渉権を有するものと認定していることは所論のとおりである。おもうに、失対就労者や失業対策事業に就労しようとする失業者が労働者としての共同の利益をまもるために組合を結成し使用者たる地方公共団体等の事業主体に対して、労働条件の維持、改善、その他経済的な地位の向上を図ることを目的とする団体交渉権の行使の許されることは、ほとんど疑を容れないが、果してかかる組合が、失業者の就職斡旋機関たる公共職業安定所に対する関係においても、原判示のように全面的に団体交渉権ありと解すべきか否かについては疑なきを得ない。そもそも失業対策事業は失業者に就業の機会を与え、その生活の安定を図ることを目的とし、該事業の計画は労働大臣が全国にわたる雇用及び失業の状勢を調査してこれを樹立し、事業主体、種目、規模、失業対策事業の開始、停止の時期等のみならず、これに使用される失業者の賃金の額をも決めることとされておる。(緊急失業対策法第一条第二条第六条第七条第八条第十条)けだし失業対策事業は一般企業とは異なり、重要な国家の労働行政施策として労働大臣の全国的な労働状勢の把握よりする総合的判断に基いて樹立した諸計画の一環として行われなければならぬからである。しかして公共職業安定所長の権限については公共職業安定所は国の設置した職業安定機関であつて、全国的規模において一貫した労務の需給調整を行つており、失業対策事業については事業主体へ登録せる失業者を輪番制等により紹介し、また事業主体を指導監督する職務権限を有してはいるが、失業対策事業の就労日数の増加、賃金の決定の如きはその権限外に属するものであるといわねばならぬ。もつとも原判決は前叙の如く公共職業安定所に対する団体交渉権を認める論拠の一つとして公共職業安定所長は求職者に対する職業紹介、求人開拓に努むべき義務があり、失業対策事業についてもこれのみに依存すべきではなく、積極的な求人開拓が要求されていることを挙げているが、一般職業紹介、求人開拓は緊急失業対策法のいわゆる失業対策事業とはなんら関係なきこともちろんであつて、それはサービス機関たる性格を有する職業安定機関としてしていることに過ぎないのであるから、これをもつて公共職業安定所に対する団体交渉権の行使を認める論拠となし得べきものではない。また原判決は公共職業安定所長の努力により失業者の増加に伴う県予算の増額をみたり、失業者の就労日数の増大が認められた事例のあることを指摘しているけれども、それは自由労務者側の執拗にしてかつ強硬な圧力に押されて県において土木費を流用したり、その他予算の応急的操作をしたに過ぎないのであつて、公共職業安定所長としては県に対し助言こそしているが、労務条件についてはいかなる意味においても決定権を有する地位にあるものとは認めがたい。

ことに本来憲法並びに労働法規が労働者に団体交渉権を保障している所以のものは、いうまでもなく、労働者が経済的弱者であるので労働条件のとりきめについて、経済的に優位な立場にある使用者に対し、不当に不利益な立場におかれないようにするためにほかならないのであるから、団体交渉権の行使は使用者と被使用者との間に雇傭関係の存在し又は成立すべきことがその前提となつているものと解すべきである。しかるに、公共職業安定所は失業対策事業ないし公共事業関係においては、失業者を地方公共団体等の事業主体に就労の斡旋をするのみで、自由労務者との間に雇傭関係の存在又はその成立をみることなく、自由労務者に対し使用者の地位に立つべきものではないから、かような対向的労働関係に立つことのない公共職業安定所に対しては陳情としては格別、団体交渉権を行使しうるものではないものといわねばならない。したがつて原判決における三重自由労働組合の松阪公共職業安定所に対する団体交渉権の行使を是認した原認定は事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つたものというべきである。

検察官の控訴趣意第二点のうち、被告人中西五洲、同奥村融に対する公訴事実第一の暴力行為取締法違反の点に関する事実誤認の論旨について。

原判決が本件公訴事実第一に関しては被告人前川房次についてのみ原判示のように平松所長に対する多衆の威力を示してなした脅迫の事実を認定し、右被告人中西五洲、同奥村融については、いずれも犯罪の証明なしとして無罪の言渡をしていることは、検察官の所論のとおりである。

そこでまず本件公訴事実第一の(1) の事実について記録を精査するに原審は被告人奥村融が同前川房次のなした原認定の如き脅迫的言辞と相前後して「われわれには死ぬか生きるかの問題だ。死ぬとなれば自分だけでは死なぬ」と発言した事実を認めながら、その内容が「死ぬとなれば自分だけでは死なぬ」というのみで「ともにお前も死ぬんだ」とはいつていないことや、被告人前川房次の発言との順序が不分明なことなどの理由から、脅迫的な意図からでたものとは認めがたいと判示している。しかしながら被告人奥村融の右発言の趣旨については原審証人平松嘉十郎の第八回公判における「前川君が布施の安定所分室長が殺されたことをいつて私を脅しつけ、又奥村君がわれわれには生か死かの問題だ。死ぬとなれば俺達だけでは死なん、ともにお前も死ぬんだというようなことを申しました」という供述をまつまでもなく、右被告人奥村融の発言が原認定の如き極度に緊迫した交渉の過程においてなされたものであることに鑑みるときは、それが「場合によつてはお前も生かしてはおかん」という意を言外に含めたものであることはほとんど疑を挾む余地はない。したがつて被告人奥村融に関する叙上の原認定は事実の誤認と認むるほかはないが、被告人中西五洲については脅迫的言辞を弄した事実を認むべき資料もなく、また同被告人と被告人前川房次や同奥村融との間に共同実行の意思があつたと認むべきなんらの証拠も存しないから、被告人中西五洲については、右事実に関する原認定に事実誤認の跡は認められない。

つぎに本件公訴事実第一の(2) の事実について記録を精査するに、原審は、所論の如く被告人中西五洲、同奥村融等の起訴状記載のような各発言を認めながら、それ自体いまだ害悪の告知とは認めがたいと判示している。しかしながら右被告人等の八木課長に対する二十五日完全就労の要求をかかげての交渉において、八木課長が「完全就労は予算面の問題もあるので、私が即答することはできない」と答えるや、同課長の職責上当然のこの回答に対し、被告人石上喬生同藤村進はともに喧嘩腰で「ごまかすな、こら」とどなりつけ、さらに被告人中西五洲は「今日は努力するとかなんとかいつておらずに、白黒はつきりすればいいのだ。もしそれができなければ、われわれとしては徹底的にやるから、そう思え」とか「今日は五人や八人の犠牲者はだす覚悟をしているから、君等もそう思え」と申向けまた被告人奥村融も「大体お前等が法律にこだわつてできるとかできんとかいうのを聞きにきているのではない。とにかく二十五日完全に働かせばよいのだ。法律があれば、それを曲げてでもやればよいではないか」などと暴言を弄した事実が明であり、当時すでに集結していた百数十名の組合員を背景にした、この激しい押問答には八木課長ならずとも、同人が原審第九回公判において証言しているように、いまにも皆から袋だたきにされるのではないかと感じたということは無理からぬことであつて、原審がこれをもつて同人の主観的認識に過ぎないとして被告人中西五洲、同奥村融の両名につき本件暴力行為等処罰に関する法律違反の成立を否定したことは事実の誤認たるを免れない。

検察官の控訴趣意第二点のうちの、被告人奥村融に対する公訴事実第二の住居侵入の点に関する事実誤認の論旨について。所論に鑑み記録を精査するに、原判決が被告人奥村融に対する住居侵入について犯罪の証明なしとして無罪の言渡をしていることは所論のとおりである。

そこでまず原判決が被告人奥村融の無罪の理由としている、庁舎管理権者の適法な退去要求をうけたか否かの点について検討してみると、同被告人が原判示のように、本件当日松阪公共職業安定所において、午前十一時三十分頃から午後五時五十三分頃逮捕されるまで被告人中西五洲等とともに、平松所長や八木課長と順次交渉をもつていたことは明であり、その間組合員全員に対する退去命令か、退去の勧告か必ずしもその性質のはつきりしない退去に関する申出がなされたり、一旦発した退去命令がすぐ撤回されたようなこともあつた経緯は原判示のとおりであるが、少なくとも午後五時頃平松所長の要請によつて、警察官約五十名が松阪公共職業安定所に来着し八木課長からその二階会議室において原判示のように重ねて退去命令が発せられた事実は明である。もつとも被告人奥村融はその時右会議室にいなかつたものと認められるが、被告人奥村融の原審公判における供述によるも、八木課長が再度の退去要求のため被告人中西五洲や警察官とともに階上にのぼつていくのを見ているし、その時の状勢として原判示のようにもはや退去命令の発せられることが必至の段階に立ちいたつていたことや、被告人中西五洲もついに不退去のため警察官によつて逮捕されたのを目撃していたのであるから、被告人奥村融が右退去命令のあつた事実を原判示のように知らなかつたということは容易に首肯しがたい。しかも原審証人保古正作の供述によると「奥村君は貴君(被告人中西五洲)を検挙した後で何度も安定所の中へ入つてきたので、その都度押しだし、まだ入つてくるなら検挙するぞということをはつきりいいました。それになおも安定所の玄関から事務所へはいつてきたので検挙した」ものなる事実が認められ、被告人奥村融が原判示のように、自転車置場で雨宿りをしていて逮捕されたものでないことは明瞭であるといわねばならぬ。したがつて原判決はこの点において事実を誤認したものと認めるほかはない。

しかして原判決における叙上の諸点に関する事実誤認乃至法令違背がいずれも判決に影響を及ぼすことは明である。

よつて、被告人中西五洲、同宮木剛、同別所清一、同中川をてる、同北村こずえの各控訴は理由がないので、刑事訴訟法第三百九十六条に則りこれを棄却すべきであるが、爾余の被告人奥村融以外の被告人等の各控訴及び検察官の被告人奥村融に対する控訴及び同中西五洲に対する原判決における同被告人の有罪、無罪の両部分に関する各控訴は、いずれもその理由があるので、同法第三百八十条、第三百八十一条、第三百八十二条、第三百九十七条に従い、原判決における右被告人等に関する部分中、被告人石上喬生、同藤村進、同前川房次の各無罪部分及び同中西五洲の平松松阪公共職業安定所長に対する暴力行為等処罰に関する法律違反についての無罪部分を除き、すべてこれを破棄するが、本件は原裁判所において取調べた証拠により、当裁判所において直ちに判決するに適するものと認め、同法第四百条但書により当裁判所において判決する。

一、事案の概要

(一)  三重自由労働組合(以下三自労と略称)について。

(1)  三自労の目的、組織及び各被告人の同組合における地位。

三自労は松阪公共職業安定所(以下松阪安定所と略称)管内の失業者により昭和二十五年四月十一日「組合員の団結と相互扶助によつて失業を防止し、労働条件の維持改善並びに生活擁護をはかり、もつて働く人民によつて民主日本の再興に寄与すること」を目的として、(後にその目的を「組合員の団結と相互扶助によつて失業を防止し、労働条件の維持改善並びに生活擁護をはかり、組合員の社会的、経済的、政治的地位の向上をはかること」に変更)結成され、昭和二十六年九月頃全日本土木建築労働組合に加入し、同年十月頃には約五百名の組合員を擁するにいたり、当時被告人石上喬生は組合長、同中西五洲、同藤村進は各副組合長、同堀口弘は書記長、同奥村融は書記長代理兼同組合松尾支部長、同大西栄次郎は同組合会計監査兼同組合松阪支部執行委員、谷口六郎は同組合財政部長、被告人槙谷賢一は同組合執行委員兼松阪支部長代理、同前川房次は同組合執行委員兼大河内支部長、同北川米蔵は同組合花岡支部長、北村国松、被告人倉口健次郎は同支部副支部長、同別所清一は同支部会計で、その余の被告人等のうち、被告人香川常男のみ本件当時まだ三自労に加入していなかつたが、他は全部同組合員であつた。

(2)  三自労の性格

三自労は緊急失業対策法に基き松阪安定所の紹介によつて三重県及び松阪市等の事業主体に雇傭されて事業主体が施行する失業対策事業(以下失対事業と略称)及び同法に規定する公共事業の労務に服する労働者(以下失対就労者と略称)の任意団体である。

(3)  本件当時における三自労の活動状況

三自労は松阪安定所管内の、失対登録者の大部分を吸収して組織され、結成以来熾烈な運動を展開し、いわゆるアフレの排除と賃上を闘争目標として、松阪安定所長に交渉を続ける一方、松阪市長に対しては、年末、夏季手当の要求を掲げて交渉を重ねてきた。その運動方法は主として、交渉戦術をもつてし、当面の問題を職場大会でとりあげ、大衆討議の上、要求事項を定め、代表者が当局に当るのであるが、重大問題であつて交渉団のみでは解決が困難なときは大衆動員をかけて、数百名が押しかけ、当局に圧力をかける戦術をとることも屡々あつた。執行委員は一応の目標をもつて適宜職場大会を指導し、闘争期間中は闘争委員にきり替えられ、闘争委員が闘争方針を樹立し、闘争の開始、終結を決定し闘争を指導していた。その交渉のやり方は多衆をたのみ、ときに論調激越に過ぎることも一再ではなかつたが、統制はよくとれ、乱暴狼藉にわたるようなことはかつてなかつた。しかし交渉が尖鋭化し、ために当局の要請に基き警官隊の出動をみたことも数度に及んだ。松阪安定所前所長駒田繁次郎が昭和二十五年五月頃赴任して以来、右のような運動を展開して、同所長の奔走により一応就労日数月二十日位を確保し、運動は奏功したかにみえ、さらに同様の運動を続けて昭和二十六年四月頃にいたり、同所長をして月二十五日完全就労を確約せしめ、組合側は大いに気勢を挙げた。そして同所長は関係地方公共団体に呼びかけて仕事の枠を増し、月二十五日完全就労にちかい実績をあげ、組合側の要望に応えてきた。同年七月十五日頃平松嘉十郎が右駒田繁次郎といれ替つて、同所長に就任したが、経済事情の悪化もあつて、管内の失対就労者数が急激に増加し、一躍約七百五十名の多きに達し、同年九月末まではどうにか月二十五日就労を維持してきたけれども、同年十月一日からは賃金について多少の増額こそあつたものの、一日の枠が五百名ではとうてい全員二十五日就労はのぞみがたく、安定所側より十月からは就労日数の減少のやむなき旨を伝えられ、月二十日前後の就労に減する気配が濃厚となつた。そこで組合側は生活権の脅威を訴えて、幹部の被告人石上喬生、同中西五洲、同藤村進、同奥村融等が十月上旬より安定所に赴いて、時には激越な口調をもつて平松所長又は同所業務課長八木俊治郎に対し二十五日完全就労を強く要望して交渉を重ね、一方当局は、交渉委員その他が交渉のためと称して、外出証明書なしで職場を離脱する幣風を矯めんとして、外出証明書の確守と不良就労者に対する就労拒否とをもつてこれにあたつた。折しも組合内部の確執や、組合に対する当局のきり崩しないしは御用組合の育成を目論む気配ありとして、組合幹部が当局の出方を注視していた矢先、三自労花岡支部組合員被告人北川米蔵、北村国松、南山市蔵の三名は同月十五日頃当時の花岡町長森本哲太郎より就労を拒否され、同時に松阪安定所からも就労紹介を停止されたので、前記三自労幹部は同月十八日平松所長に対し、二十五日完全就労と花岡町の就労拒否処分の撤回を求め、さらに花岡町長に対しては、翌十九日郡部支部の代表者十余名と共に右就労拒否処分の撤回を求めたが、会見は要領を得ずして了り、同町長はその翌二十日これに答えるに三自労の要求拒否をもつてした。

一方二十五日完全就労の問題も同月二十二日にいたるも交渉は進展せず、翌二十三日をもつて就労の予定を終了することになつたので、組合員の生活不安はいよいよ募り、交渉はますます険悪な様相を帯びるにいたり、三自労代表者は同日午前十時頃から松阪安定所において八木課長と、二十五日完全就労問題につき執拗に交渉を重ね、他方被告人中西五洲外花岡町現場関係の三自労組合員七、八十名は、同日正午から花岡町役場において森本町長不在のため、同町助役等に対し前記就労拒否問題の法的根拠を質し、さらに午後二時頃から松阪安定所に合流して平松所長に対し、再び就労紹介停止処分の撤回と二十五日完全就労を要求したが、満足すべき回答を得られなかつた。折柄動員をかけられた三自労組合員等二百名が同安定所附近に参集したので、これに対し被告人中西五洲等三自労幹部から同安定所前において松阪安定所等との交渉経過を報告すると共に、、予ねて三自労役員会で打合せずみとなつていた翌二十三日を期して就労放棄の上、大衆動員の下に組合員全員で同安定所に最後的交渉をする旨の案件を附議し、参集者の賛同を得ていずれも明日を期して解散した。

(二)  松阪安定所の三自労に対する態度。

前松阪安定所長駒田繁次郎は、三自労の交渉に応じて就労日数の増加を三重県に上申して予算的措置を仰ぎ、失対事業に無関係な市町村独自の事業に雇傭面を開拓するなど最大限の努力を傾注して、ほぼ三自労の要求を満足せしめどうにかこれとの協調をたもち、とくに警備のため警察官の派遣を要請するといつたような急迫な事態に立ちいたることなく過してきた。ところが、右駒田にかわりその後任となつた平松嘉十郎は、三自労との面接を好まない傾向があり、これが組合幹部に反映して、とかく両者間にしつくりしないものがあつた。たまたま、被告人奥村融等三自労の代表者数名が本件以前に松阪安定所へ交渉に赴いた折、同所長が交渉の中途でいきなり警察官の派遣を求め右代表者を退去させたことなどが重なつてますますその溝を深め、三自労を硬化させるにいたつた。しかし平松所長は三自労の二十五日完全就労確約等の要求をうけて、可及的に予算の増額が得られるよう、県を通じて労働省に要求すると共に、その他一般民間事業の求人開拓、官庁関係の求人開拓をはじめとして関係市町村に交渉して、その行う事業に失業者を吸収すべきことを要請しており、とくに昭和二十六年十月当時、この月を日雇関係求人開拓強調月間と定めて、当時松阪安定所業務課員十一名のみならず、全職員をも求人開拓部面に配し、個人の家庭まで訪問して開拓せよとまで部下職員を督励しており、その目的遂行の一方法として、同月二十三日には市町村長会議の開催を予定し、就労不足分の日数獲得を期するなど失対事業関係業務に全力を傾注していた。

(三)  本件当日の概況

被告人等を含む三自労組合員等は前記のように、昭和二十六年十月二十二日松阪安定所前で行われた大衆討議の結果、同月二十三日を期し大衆動員の上、松阪安定所と最後的の交渉を試みることになり、当日職場を離脱して直接に、あるいは三自労本部からの連絡により各現場からそれぞれ同安定所に逐次参集し同日午前中にはその数百五、六十名、午後四時過頃には二百数十名に達した。かくて被告人石上喬生、同藤村進は午前八時三十分頃同安定所業務課長八木俊治郎が登庁するや、午前九時頃同人に会見を申し入れ、応諾の回答を得、他の三自労幹部数名と共に折柄同安定所内外に参集した同組合員等百五、六十名を背景に二十五日完全就労の確約を迫つた。

一方花岡町役場においては前記就労拒否処分をうけた被告人北川米蔵、北村国松、南山市蔵の三名及び大衆動員された郡部関係の三自労組合員等約百名は、同日午前九時頃から被告人中西五洲、同奥村融、同前川房次等の三自労幹部の応援を得て、森本町長に対し右処分の撤回を求め、同町長より「処分をした三名に仕事をやめてもらう方針にはかわりはないが、即時確答はできないから、安定所長と話合いの上、あらためて回答する」旨の返答を得ただけでその目的を達せず、被告人中西五洲、同奥村融、同前川房次、同北川米蔵等は相ついで松阪安定所に向い、午前十一時頃同所に到着し、八木課長と交渉中の被告人石上喬生、同藤村進、同堀口弘、同槙谷賢一等の交渉員と合流した。

かくするうち、午前十一時二十分頃平松所長の登庁をみたので被告人中西五洲は八木課長を通じて、同所長に二十五日完全就労の確約及び花岡町における就労拒否反対に関する交渉を申し入れ、同所長より正式面会の了承を得て、被告人中西五洲、同石上喬生、同藤村進、同奥村融、同前川房次、同倉口健次郎、同北川米蔵、南山市蔵、及び柳田保之等十数名の交渉員が、午前十一時三十分頃から同安定所内所長室で同所長に対し、右の件に関する交渉を始めたが結論を得ず、同所長は午後零時三十分頃右交渉員に対し「三自労の要求する二十五日完全就労の確約は不可能であるが、本日開催予定の関係市町村長及び事業主体関係者会議で、たとえ一日でも多く就労できるよう努力する。会議は三時頃終了の予定だから、三時から四時までの間に代表者五名と会う。しかしこの大勢の人は全部皈して半日でも就労させたらどうか」と述べて一旦交渉を打ちきつた。

かくて同安定所に参集した三自労組合員等は、当日雨模様の天候であつたという事情もあつて、交渉の経過を待つべく、午後零時三十分頃から同安定所当局より別段の制止を受けずに、逐次二階会議室に集結した。午後一時三十分頃被告人石上喬生等から前記交渉の経過報告をうけ、さらに「平松所長は午後からの関係市町村長会議の協議により完全就労の成果を決めてくれることになつた。その結果は、後で皆に相談するから、しばらく待つてくれ」と伝えられたため、同所で平松所長の回答を期待しその結果を待つことになつた。その後で同所に参集した組合員も先着の組合員より右伝達を聞いて同様交渉の結果を同所で待つていた。

一方平松所長は午後二時頃同安定所で開催予定の前記市町村長会議の場所を急遽松阪市役所に変更し、午後二時過頃右会議出席のため同市役所に向つたが、これに先きだつて八木課長に対し、「労働者が退去しないから、後に残つて大勢の者を皈してくれ」と命じた。そこで八木課長は午後二時三十分頃被告人中西五洲、同石上喬生を自席によんで両名に対し「所長室で話したとおり、皆を皈えしてもらつたらどうか」と勧告した。これに対し、右被告人両名はこもごも二十五日完全就労がきまるまで絶対に皈らない趣旨をのべてこれを拒絶した。

かくて八木課長は、午後三時頃前記会議への出席と平松所長に対する右情勢報告のため松阪市役所に赴き、同所長にこれを報告したところ、平松所長は八木課長に対し「会議は長びくので翌二十四日午後一時より代表者五名と再会する。今日は全員皈るよう要求せよ」と命じた。そこで八木課安長は右安定所へ戻り午後三時過頃同所宿直室で被告人石上喬生、同中西五洲を責任者として、両名に対し「安定所としては、たとえ一日分でも市町村の方から仕事を多くだしてくれるよう要請しているが、会議は難航しているので、所長は諸君と会う暇がないから、明二十四日午後一時からあらためて会うといつている。今日はとにかく皈つてくれ」と右被告人両名を含む全員の退去方を要望した。しかし右被告人両名は即時これを拒否した。平松所長はその後も八木課長から電話で安定所内の情勢報告をうけていたが、午後四時三十分頃にいたり、同課長より所内の情勢は険悪で、話合ではとうてい退去しそうもない旨の報告をうけたため、同課長に対し午後四時五十分を期して退去を指令するよう指示しいまだ続行中であつた前記会議も満足すべき結果の得られる段階にいたつていないことを考慮して急遽これを閉会し、松阪市警察署に赴き、午後四時四十分過頃同署警備課長奥村春雄に対し退去命令を出すから、組合員等をしてこれに従わせるよう警察吏員(以下国家地方警察の警察官を含め警察官と略称)の派遣を要請した。

一方八木課長は平松所長より前記命令をうけて、午後四時四十五分頃同安定所二階の会議室にいたり、被告人全員を含む組合員等に対し平松所長の命令として、「一部町村以外は大体一日分の予算を組んでもらえることになつたが、会議はまだ難航しているから、今日は全員皈つてもらいたい。」旨通告した。ところが前記市町村長会議の様子及び平松所長の動向をさぐるため松阪市役所に赴いていた組合員山田守が二階会議室に来て、全員に右会議の終了を大声で知らせたので、八木課長は「会議が終つたのであれば、所長に会えるだろうから、一度その真偽を確める。」旨述べて一応右退去命令を撤回して階下へ降り、さらに同所で同人に続いて降りた被告人奥村融に対しても「一度所長に連絡してみる。」と語つた。

被告人中西五洲は同所会議室に集結した被告人奥村融を除く全員に対し「要求を貫徹するまで、ここを動かずに座りこめ。」と指示した後、同奥村融と前後して階下に降り、階下事務室において被告人奥村融と共に八木課長に対し、平松所長の違約を難詰してその面会を求め、押問答をくり返していたところへ、同所長の要請によつて出動した松阪市警察署次席吉田七郎、刑事部長保古正作等警察官約五十名が午後五時頃同安定所に来着した。同署奥村警備課長は、ただちに八木課長に、退去命令はすでにだしたか否かについて質ね、八木課長が「退去命令はだした。」と答えると、かたわらにいた被告人中西五洲より「まだでていない」と否定され、その真偽が容易に判断しかねる状况にあつたため、八木課長に対し「退去命令がでていないといつているから、もう一度はつきりだすように」と要求した。そこで八木課長は再度二階へいき、前記吉田次席、保古部長、被告人中西五洲もこれに続いて二階にあがつた。かくて八木課長は午後五時過頃右会議室にはいり、その入口附近において同所にいた被告人奥村融をのぞく、爾余の被告人等を含む組合員全員に対し大声で平松所長命をもつて退去を要求して階下へおりた。保古部長等警察幹部も会議室入口より八木課長の後をうけて、同所の自由労務者に退去を勧告した。しかし被告人奥村融をのぞく爾余の被告人等はいささかも同所を退去する気配がなかつたので、警察官が入口附近にいた被告人中西五洲、柳田保之等二、三名の組合員を階下にひきおろし、さらに被告人藤村伊三郎をひきずりだそうとしたが、室内の被告人石上喬生及び同槙谷賢一等がその両足を捉えてひき戻すと同時に、二階入口のドアをしめて警察官の侵入を阻止した。そしてこれを契機に一部の三自労幹部の指示のもとに、たちまち同室出入口二箇所に机や椅子などを積みあげてバリケードをつくり不退去の意思を表明した。

かくして、保古部長は同安定所内にある組合員等全員を不退去罪の現行犯として逮捕すべきことを部下に命じ、その命をうけた警察官は折柄階下にいた被告人中西五洲と同奥村融を相ついで不退去罪現行犯として逮捕し、一方階上ではバリケードを排除して組合員等の逮捕に着手したが、室内の者等が室内にあつた椅子を壊し、硝子窓を破り、その木片、硝子等を警察官めがけて投げつけて激しく抵抗したために、容易にその目的を達しえなかつた。

松阪市警察署長中西静夫は右配備の警察官では手薄と判断し、国家地方警察三重県本部、津、宇治山田各市警察署等に応援を依頼し、同日午後八時頃応援警官隊の一部が到着し、警官隊が約百五十名に達したので、その頃からバリケードを突破して不退去者を検挙すべく、鳶口でバリケードをくずし、あるいは三重県労働部長承認の下に、角材、槌等で会議室の壁を打ち破るというような強硬策をとつたが、これまた成功をみず、翌二十四日午前零時頃一旦これを打ちきつた。これに前後して階上の被告人等は警官隊の右強硬策に対抗して徹底的に応戦し、木片硝子等の投げる物がなくなると、宿直室の屋根瓦を剥がし、これを警官隊を目がけて投げつけるなどして激しく抗争をつづけた。

二十四日午前二時頃、応援警官隊が増加し総数約三百名に達し松阪市警察署と国警飯多地区警察署に属する警察官は同安定所内において検挙にあたり、他署の応援隊は同安定所を包囲して警備を固め、脱走者を検挙する手筈となつたが、組合員等の抵抗をうけ再度成功をおさめず、同日午前五時頃中止するにいたつた。

その間組合員等中一部脱出した者もあつたが大部分は不法占拠を続け、同日午前六時頃空腹と疲労に加えて検察官の説得もあつたので、被告人石上喬生等組合員は大衆討議の末、警察官に対する抵抗をやめ、ようやく同日午前七時頃警察官により全員検挙されるにいたつたものである。

二、各被告人の本件所為に対する判断

(罪となるべき事実)

第一、被告人中西五洲、同奥村融、同前川房次等は昭和二十六年十月二十三日前記のように多数の組合員と共に二十五日完全就労の要望をかかげて松阪安定所に押しかけ

(一) 同安定所所長室において、平松所長に対し午前十一時三十分頃より三自労の他の幹部十数名とともに、交渉員として二十五日完全就労の即時確約を強硬かつ執拗に要求し、同所長が求人求職の状況を説明して、「二十五日完全就労をいまここで確約することはできないが努力する」と答えるや、ここに被告人前川房次は暗々裡に同奥村融と共謀の上、同前川房次において「布施の安定所のことだけではないぞ」と申し向け、布施市職業安定所分室長の殺害事件をもつて生命の危険を示唆し、同奥村融もまた「われわれには死ぬか、生きるかの問題だ。死ぬとなれば自分だけでは死なん」と威嚇し

(二) 同安定所業務課長八木俊治郎に対し、事務室において前同様の要求をなし、同課長が「一日でも多く働けるよう努力する旨答えるや、被告人中西五洲、同奥村融は暗々裡に共謀の上、同中西五洲において「今日われわれは二十五日間働かすという確約をしないかぎり徹底的にやるからそう思え。今日は五人や八人の犠牲者をだすことは覚悟してやつてきているから簡単には皈らぬ君等もそう思え」と威嚇し、さらに被告人奥村融もまた「法律もへちまもあるものか。われわれを二十五日働かせばよいのだ」と暴言をはき

以つて折柄同安定所内外に参集していた百数十名の三自労の組合員等を背景に多衆の威力を示し、右平松所長、八木課長においてその要求に応じないときは、生命、身体に危害を加えるべきことを示して脅迫し、

第二、当日正午過頃から三自労組合員約二百数十名は、庁舎管理権者の暗黙の了承の下に松阪安定所二階会議室に集結し、平松所長との交渉の結果を待ち、ついで平松所長が関係市町村長会議より皈庁するのを待つていたところ、同日午後四時四十五分頃八木課長を通じて一旦退去要求を受けたが、同課長が前叙のとおりすぐまたこれを撤回したので同所にそのままいつづけた。その折被告人中西五洲、同石上喬生、同槙谷賢一等一部の三自労幹部は警察官の派遣要請によつて、退去命令がいずれ発せられることを予測して「警察官がきたら女を中にして男はスクラムを組んで坐りこめ」と指示し、同組合員はこれに同調し坐りこみ戦術をとる態勢となつた。あたかもそのとき

(一) 同日午後五時過頃八木課長が、派遣された警察官を随伴して二階会議室にきて、所長命をもつて口頭で全員に退去を要求した。三自労組合員は警察官の出現によつて、かえつて闘争意識を昂め、八木課長の退去要求に応じない気勢を示したので、松阪市警察署警察官の一部が室内の三自労組合員数名を室外にひきだし、さらに被告人藤村伊三郎をひきだそうとして被告人石上喬生、同槙谷賢一によつてこれを室内にひき戻されたが、これを契機として、被告人倉口健次郎において一方のそと開きのドアーを閉めてうち側からひつぱり、被告人石上喬生、同槙谷賢一、同北川米蔵、同藤村伊三郎、同藤村進、同堀口弘において、こもごも、室内の机、椅子等を出入口に積んで閉塞することを命じ、自らも手をかし、被告人中村宏三、同大西栄次郎、同朴永鶴、同宮木剛、同香川常男、同倉口健次郎、同奥村晃、同中川をてる、同前川房次、同川島敏郎においてこれに加わり、たちまち同室二箇所の出入口内部に接してバリケードをつくり、ここに被告人奥村融をのぞく被告人二十一名は共謀の上、不退去の意思を明示し、被告人中西五洲はまもなく同安定所階下において逮捕されたので、その時以後坐りこみには参加しなかつたが、被告人長谷川吉造は翌二十四日午前四時頃同所を脱出するまで、爾余の被告人等十九名は同日午前七時頃まで同会議室を退去せず、被告人中西五洲は右被告人等をして坐りこみをなさしめて退去要求に応ぜしめず、もつて右被告人等二十一名はいずれも庁舎管理権者より有効な退去要求をうけながら、これに応じなかつた。

(二) 一方被告人奥村融は八木課長が前叙のとおり、警察官を随伴して松阪安定所二階会議室において、あらためて退去命令をだすため階上にのぼつた際、これに続こうとしたが、四、五名の警察官に阻止されて果さず、そのまま階下事務室などにいて、退去命令のすでに発せられたことを知りながら、警察官の再三にわたる勧告にも耳を藉さず退去を肯じなかつた。

第三、当日午後五時過頃松阪安定所会議室を不法占拠するにいたつた三自労組合員等を退去せしむべく、松阪市警察署長中西静夫総指揮下の警察官がその執行に着手するや、同室内の組合員は前示の如くバリケードをつくつてこれを阻止し、同日午後五時三十分現場指揮者たる同署保古刑事部長より不退去罪の現行犯として逮捕すべき命を受け、その執行のためバリケードの突破作業にあたつた同署警察官及び応援の他署警察官に対して、被告人中西五洲、同奥村融をのぞくその余の被告人等外数名は木片、硝子の破片等を投げつけて抵抗せんことを暗々裡に共謀し、

被告人石上喬生、同藤村伊三郎、槙谷賢一、同藤村進、同中村宏三は指導的地位にたち、階段附近及び外部の警察官めがけて、木片や硝子、瓦の破片を、同堀口弘は木片や硝子、瓦の破片を、同大西栄次郎、同北村こずゑ、小宮乙一、東山輝男、森本三郎は硝子、瓦の破片を、同宮木剛、同山崎節三郎、同倉口健次郎、同長谷川吉造、南山市蔵は瓦の破片をそれぞれ投げつける等の暴行を加え、

同朴永鶴、同香川常男、同川島敏郎は木片や硝子、瓦の破片を投げつけ、また木片をもつてこれを突き、同奥村晃は硝子、瓦の破片を投げつけ、また木片をもつてこれを突く等の暴行を加え、

同北川米蔵は瓦を投げつける等の暴行を加えたほか、同室窓から外の群衆に向つて、松阪安定所の不誠意を詰るとともに、警察官の所為を弾圧と非難する趣旨の演説を行い、被告人等の所為の正当性を強調して、以上の暴行を暗に励ましてこれに加功し、

同前川房次は木片や硝子破片を投げつけ、木片をもつてこれを突く等の暴行を加えたほか、同室窓から外の群衆に向つて警察官の所為こそ乱暴である旨演説し、被告人等の所為の正当性を強調して、以上の暴行を暗に励ましてこれに加功し、

同別所清一は後記のように同安定所の屋根より剥がされた瓦を右暴行の便に供ずるため適所に運び、同中川をてるも右同様瓦を運びまた瓦を割つて前記暴行の便に供して以上の暴行に加功し、

当日より翌二十四日午前六時頃迄抵抗を継続し、もつて前記警察官の職務執行を妨害し、その間被告人等の右暴行により、警察官吉田健一の左後頭部に休養約十五日間を要する挫創兼打撲傷を、

同辻万造に対し加療十日間を要する角膜外傷を、

同中田長吉の右限に全治約一月間を要する角膜外傷を、

同杉本利兵衛の右手掌に全治約一週間を要する刺創を、

同山下照生の上口唇に加療約二週間を要する挫創及び上門歯二枚の弛緩動揺の傷害を、

同谷川清一に対し休養約十五日間を要する左後頭部挫創兼頭部打撲傷を、

同佐々木利郎の右前額部に加療約五日間を要する擦過傷を、

同木屋朝夫の右上唇(右鼻孔下)に加療約十五日間を要する裂傷を、

同畑中吉正の左顔面観骨部に加療一週間を要する打撲兼擦過傷を負わ

せた。

第四、被告人石上喬生、同藤村伊三郎、同槙谷賢一は前記のように警察官と抗争を続けるうち、これに対する反撃を強化するため、同安定所の屋根瓦を剥がして投げつけようと企て、こもごも前記組合員等に対し、屋根瓦を剥がせと指示し、これに被告人中西五洲及び同奥村融をのぞく被告人等が同調して暗々裡に建造物損壊を共謀し、当日午後八時頃から翌二十四日午前六時頃までの間、被告人石上喬生、同藤村伊三郎、同藤村進、同堀口弘、同朴永鶴、同北川米蔵、同香川常男、同長谷川吉造はこれが実行にあたり、ついに同安定所宿直室及び娯楽室の屋根瓦の大半並びに炊事室及び小使室の屋根瓦の一部(合計約六百枚)を剥がし、もつて平松所長管理の松阪安定所の建物を損壊したものである。

(証拠の標目)

判示一の(一)の(1) の事実につき

一、松阪市長庄司桂一作成の団体等規正令による届出書類の謄本送付についてと題する書面

一、被告人槙谷賢一、同中村宏三、同朴永鶴、同奥村融、同宮木剛、同香川常男(当時北村常男)同倉口健次郎、同中川をてる、同前川房次、同藤村伊三郎、同藤村進、同奥村晃、同山崎節三郎、同北村こずゑ、原審相被告人南山市蔵、同東山輝男、同森本三郎、同山崎信男、同谷口六郎の原審公判における各供述記載

一、被告人石上喬生の検察官に対する昭和二十六年十一月一日付、同中西五洲の検察官に対する同年十月三十日附、同堀口弘の検察官に対する同月二十八日附、同大西栄次郎の検察官に対する同月二十七日附、同北川米蔵の検察官に対する第一回、第四回、同別所信一の検察官に対する同年十一月六日附、同長谷川吉造の検察官に対する同月八日附、同川島敏郎の検察官に対する同年十月二十八日附各供述調書

判示一の(2) の事実につき

一、原審公判調書における証人加藤成次、同平松嘉十郎、同八木俊治郎、同駒田繁次郎、同森本哲太郎、同川口初蔵の各供述部分

一、判示一の(一)の(1) の事実認定につき引用した各証拠、

判示一の(一)の(3) の事実につき

一、被告人石上喬生の原審公判調書における供述部分

一、右被告人の検察官に対する昭和二十六年十一月一日附、同中西五洲の検察官に対する同年十月三十日附、同堀口弘の検察官に対する同月二十八日附、同大西栄次郎の検察官に対する同月二十七日附、同藤村伊三郎の検察官に対する第一回、第二回、同北川米蔵の検察官に対する第三回、同藤村進の検察官に対する第二回、同中村宏三の検察官に対する第二回、同朴永鶴の検察官に対する第一回、同宮木剛の検察官に対する同年十一月四日附各供述調書

一、原審公判調書における証人平松嘉十郎の供述部分、原審における駒田繁次郎に対する証人尋問調書

判示一の(二)の事実につき

一、原審公判における被告人中西五洲、同石上喬生、同奥村融、同前川房次の各供述記載

一、原審公判調書における証人平松嘉十郎、同八木俊治郎、同保古正作の各供述部分、原審における駒田繁次郎に対する証人尋問調書

判示一の(三)の事実につき

一、原審における森本哲太郎、黒川加弥男、山田守、柳田保之、北村晋、三島正六、藤本忠三郎、細萱八重子に対する各証人尋問調書

一、後記判示二の第一の(一)、(二)の各事実認定に引用した各証拠

判示二の第一の(一)、(二)の各事実につき

一、原審第二十五回公判調書における被告人中西五洲、同石上喬生の各供述部分、

一、原審第八、第十回公判調書における証人平松嘉十郎、同第九、第十一回公判調書における証人八木俊治郎の各供述部分、

一、被告人中西五洲、同石上喬生、同前川房次、同大西栄次郎、橋本行蔵の検察官に対する各供述調書

判示二の第二の(一)、(二)及び第三の各事実につき

一、原審公判調書における被告人等及び原審相被告人北村国松、同谷口六郎、同小宮乙一、同南山市蔵、同東山輝男、同森本三郎、同山崎信男、の各供述部分

一、原審第七回公判調書における証人細野為雄、同森上実、同第八、第九回公判調書における証人平松嘉十郎、同第九、第十一、第十三回公判調書における証人八木俊治郎、同第十二、第十四、第十五回公判調書における保古正作、同第十六回公判調書における証人辻万造、同杉本利兵衛、同佐々木利郎、同中田長吉、同谷川清一、同吉田健一、同第十七回公判調書における証人村山正郎、同木屋朝夫、同畑中吉正、同丸山まつ子、同稲葉周八、同吉武泰男、同杉浦保、同喜多利助、同第十八回公判調書における証人須田好、同大西謹五郎、同田川新吾、同第十九回公判調書における証人真柄悸彦、同第二十二回公判調書における証人板谷こと野田昭志、同第二十三回公判調書における証人吉田七郎の各供述部分

一、原審における山下照生に対する証人尋問調書

一、大西謹五郎、田川新吾、増田万吉、田中多嘉市、橋本高蔵、早野徳蔵、前川泰四郎、真柄悸彦、熱田幸之助、奥村亀太郎、山本栄助、乾としゑ、利見徳三郎、上垣外すみゑ、川口清之助、神田まさ、入口政三、中川きく、桐脇照男、越石安吉、中西千代子、西川重吉、長谷川末松、福田光枝、矢野ふじえ、須田好、佐々木利郎、木屋朝夫、山下照生の検察官に対する各供述調書

一、被告人槙谷賢一、同倉口健次郎、同宮木剛をのぞく被告人等及び原審相被告人北村国松、同谷口六郎、同小宮乙一、同南山市蔵、同東山輝男、同森本三郎、同山崎信男の検察官に対する各供述調書

一、医師丸山まつ子作成の辻万造、中田長吉にかかる各診断書、医師稲葉周八作成の杉本利兵衛、山下照生にかかる各診断書、医師吉武泰男作成の谷川清一、吉田健一にかかる各診断書、医師杉浦保作成の佐々木利郎、木屋朝夫にかかる各診断書、医師喜多利助作成の畑中吉正にかかる診断書

一、森上実作成の昭和二十六年十月二十四日附及び同月二十五日附報告書と題する書面三通

一、原審における受命裁判官の検証調書、司法警察員作成の検証調書平松嘉十郎作成のものと認むべき建造物損壊部分の一覧表及び図面

一、審判請求事件における中西五洲、中川善吉、平松嘉十郎、八木俊治郎、吉田七郎、石上喬生、奥村融、角田角一に対する各証人尋問調書及び同じく審判請求事件における保古正作、中西静夫、奥村春雄に対する各被疑者取調調書

一、領置にかかる被告人中村宏三外二十八名の写真(証第一号)

(累犯加重の原因となるべき前科)

(1)  被告人藤村伊三郎は(イ)昭和二十一年五月十四日津地方裁判所松阪支部において物価統制令違反により懲役六月、五年間執行猶予罰金五千円に処せられ、(ロ)昭和二十三年十月五日松阪簡易裁判所において窃盗罪により懲役一年二月に処せられたため、右(イ)の執行猶予は昭和二十四年二月二十六日取消され、(同年三月五日確定)、(ロ)の刑と共に執行を受け、その頃右各懲役刑の執行をうけ終つたもので、右事実は同被告人の検察官に対する第一回供述調書及び検察事務官作成の同被告人にかかる前科調書によりこれを認め、

(2)  被告人長谷川吉造は(イ)昭和二十一年十月十六日松阪区裁判所において窃盗罪により懲役十月、五年間執行猶予に処せられ、(右刑期は同年十一月三日勅令第五百十二号により懲役七月十五日に変更)、(ロ)昭和二十三年三月二十一日津地方裁判所松阪支部において窃盗罪により懲役二年に処せられたため、右(イ)の執行猶予は同年七月六日取消され(同月十三日確定)、(ロ)の刑と共に執行をうけその頃右各刑の執行をうけ終つたもので、右事実は同被告人の検察官に対する昭和二十六年十一月八日附供述調書及び検察事務官作成の同被告人にかかる前科調書によつてこれを認める。

(法律の適用)

被告人奥村融、同前川房次の判示第一の(一)、被告人中西五洲、同奥村融の判示第一の(二)の多衆の威力を示して脅迫した所為は各暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項、刑法第二百二十二条第一項、第六十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、被告人宮木剛、同別所清一、同中川をてる、同北村こずゑを除く被告人十八名の判示第二の住居侵入の所為は各刑法第百三十条、第六十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、右被告人十八名のうち被告人中西五洲、同奥村融をのぞくその余の被告人十六名の判示第三の所為中、公務執行妨害の点は各刑法第九十五条第一項、第六十条に、傷害の点は各同法第二百四条、第六十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、同被告人十六名の判示第四の建造物損壊の所為は各刑法第二百六十条、第六十条に該当するところ、右被告人十六名の各公務執行妨害の所為と各傷害の所為とは、一個の行為にして数個の罪名に触れるので、それぞれ同法第五十四条第一項前段、第十条を適用し、犯情もつとも重いと認める山下照生に対する傷害罪の刑に従い、被告人中西五洲、同奥村融、同前川房次の各暴力行為等処罰に関する法律違反、及び被告人宮木剛、同別所清一、同中川をてる、同北村こずゑをのぞくその余の被告人十八名の各住居侵入、同被告人十八名のうち、被告人中西五洲、同奥村融をのぞく被告人等の公務執行妨害傷害の各罪につき、いずれも所定刑中懲役刑を選択すべきところ、被告人藤村伊三郎、同長谷川吉造にはそれぞれ前示のような各前科があるから、刑法第五十六条第一項、第五十七条、第五十九条によりいずれも累犯加重をなし、被告人中西五洲については同被告人は昭和二十四年七月二十日津地方裁判所において税務代理士法違反により罰金千円に処せられ、その判決は昭和二十七年十二月九日確定したもので、(右は検察事務官作成の同被告人にかかる前科調書によつてこれを認める)同被告人の右判示各所為とこの前科の罪とは刑法第四十五条後段の併合罪であるから、同法第五十条により未だ裁判を経ない右判示各所為につき処断すべく、以上被告人十八名の叙上の所為は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条、第十条に則り、なお被告人藤村伊三郎、同長谷川吉造については同法第十四条の制限に従い、被告人中西五洲、同奥村融については最も重き暴力行為等処罰に関する法律違反、爾余の被告人十六名については最も重き傷害の罪の刑にそれぞれ併合罪の加重をなした各刑期範囲内で、所論に鑑み主文第二項のとおり各被告人の刑を量定処断した上、同被告人等については、弁護人並びに同被告人等の量刑不当の論旨について判断を示した前認定のような諸般の情状により刑の執行を猶予するを相当と認め、被告人長谷川吉造、同藤村伊三郎につき、同法第二十五条第一項第二号その余の被告人等については同条第一項第一号を適用し、本裁判確定の日から主文第三項所定期間中いずれもその各刑の執行を猶予することとし、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項但書に則り被告人等にこれを負担せしめないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長判事 小林登一 判事 成田薫 判事 中浜辰男)

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